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2018/09/25 灘校歴史探訪(神戸市北区西鈴蘭台の塾・灘中学受験Academia) #中学受験 #中学受験ブログ #灘校

神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。西鈴蘭台に移転開校してから、早いもので4ヶ月が経とうとしています。やる気のある生徒を第一志望合格まで導く、熱いながらも冷静な指導に絶対の自信があります。代表・教室長合わせて半世紀以上の指導経験も大きな武器です。とはいえ、教室を知ってもらえなければ如何ともし難いので、様々な媒体で告知をしています。今回、地域情報誌「ぽちっト神戸」さんに「中学受験コラム」を掲載させていただきました。第1回は、我が母校である灘校についてその歴史をお話ししております。今回は、情報誌が届かない地域の皆さんにもその内容を当ブログでお伝えしたいと思います。(以下の文は、掲載コラムに加筆をしたものです。)

 

昭和三(一九二八)年、東灘区の住吉川畔に一つの私立学校が産声をあげました。後に、全国でも指折りの超進学校となる灘中学校・高等学校です。灘五郷の酒造家で「菊正宗」「白鶴」の両嘉納家と「櫻正宗」の山邑家の篤志を受けて、旧制灘中学校が創立されました。甲陽学院も酒造家「白鹿」辰馬家が関わっています。阪神間男子校の両雄として、説明会の日程を調整する等永らく足並みを合わせていましたが、最近になってそれも崩れつつあるようです。校風も違うところが多々あるので、偏差値表を見て「灘が無理なら甲陽受けよう」などと安易に考えるのは止めた方がいいですよ。

 

創立に当たっては、白鶴嘉納家の親戚で、当時東京高等師範学校(現・筑波大学)校長兼講道館館長であった嘉納治五郎先生が顧問として参画。先生は講道館柔道の創始者で「柔道の父」とも呼ばれており、先生の唱えた柔道の精神「精力善用」「自他共栄」が校是となりました。現在でも中学と高一で週一回柔道の授業がありますし、柔道場には先生直筆の校是が、額に入れられて掲げられています。「自他共栄」はわかりやすいですが、「精力善用」は誤解されがちなので念のため説明を。簡単に言えば「善いことに力を使え」ではなく「力は効率よく使え」という教えです。「柔よく剛を制す」につながる柔道らしい考え方といえばわかりやすいでしょうか。

 

実は、当時は神戸一中(現・神戸高校)や神戸二中(現・兵庫高校)等に入れなかった者が入学する学校でした。というより、神戸一中や二中に入れないご子息を持つ裕福なご家庭のために学校が創られたとも。今の姿からは想像もできませんが、今で言うところの「公立高の滑り止め」ですね。そのためか、当初から官公立中学(現在の国公立高校)に「追いつけ、追い越せ」ということを考えていたそうです。もしかすると、その辺に超進学校に変貌していく「芽」があったのかもしれませんね。

 

そういう経緯もあり、第二次世界大戦前は柔道部や野球部などの活躍の方が有名だったそうです。戦後の学制改革で、多くの旧制中学が新制高校への移行に四苦八苦していたときに、いち早く旧制中学の延長という考えに基づいた「中高六箇年一貫教育」を実施。当初は「泥縄式の教育だ」などという批判も受けたそうですが、この「中高六箇年一貫教育」が奏功して進学実績が上向きになり、昭和四十年代には都立日比谷高校を抜き、国立・私立高校で初めて東大合格者数トップに立ったのです。その後、阪神間だけでなく全国でも屈指の超進学校として、学力自慢の数多の受験生を集めるようになっていったのは周知の通りです。

 

以上、灘校の歴史についてざっとご紹介しました。何かお知りになりたいことがあればお尋ねください。別に機会を設けてお話ししたいと思います。では、また。

 

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