森鷗外に見る「国際人」の条件(神戸市北区西鈴蘭台の塾・灘中学受験Academia) #中学受験 #中学受験ブログ #森鷗外

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2018/08/24 森鷗外に見る「国際人」の条件(神戸市北区西鈴蘭台の塾・灘中学受験Academia) #中学受験 #中学受験ブログ #森鷗外

神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。今回は、もう一人の明治の文豪、森鷗外について話をしていきます。

 

本名・森林太郎(森「林太郎」です。森林「太郎」ではありません。)代々津和野藩の典医を務める「名家」の血筋を受け継ぎ、幼いころから「神童」と言われ、第一大学区医学校(現・東大医学部)予科に実年齢(12歳)より2歳多く偽って入学し、やがて軍医のトップ・軍医総監にまでなった人物です。夏目漱石と同じく、超エリートであったことは間違いありません。

 

陸軍より「ドイツ・ライプチヒ大学で衛生学を学べ」という命が、林太郎に下されたのが1884年(明治17年)。ベルリンでの「留学生生活」は、漱石とは違いかなり社交的なものだったそうです。「郷に入れば郷に従え」「その国の風俗・習慣・文化を知るためにアウェーに『飛び込んでいく』」という「グローバル」な視点を、林太郎は持っていたようです。日本人や他国のドイツ医学留学生と、夜は酒場で語り合い、休日はピクニックに興じていました。また、林太郎は一人の人間として「文化」を知ろうと、ドイツ詩人の本を読み漁りました。そして、ドイツ詩の翻訳をするだけでなく、小説らしきものまで書いていたのです。日本語とドイツ語、正に「バイリンガル」です。「表面的ではなく、とことん深く相手の文化に入り込む」「その国を理解するのは、文化・習慣を知らねばならない」「もちろん自分の国のことも、相手に説くためには深く知らねばならない」

 

鷗外が日本と西洋の違いを感じたのは「組織のあり方」「組織の中での人間の振る舞い」でした。そこには、1912年(明治45年)に起きた「乃木将軍の自死」という、いかにも日本らしい事件が影を落としています。江戸時代まで「何かが起これば集団で」「誰かの犠牲の上で」成り立っていた社会、その中に生きていた日本人の思考そのものに光を当てていきます。それが「文豪」としての鷗外のスタートだったようです。歴史上の人物・事件に鷗外なりの解釈を加えて、理系の合理性と客観性を以って、情に流されず粛々と「ありのまま」を書いていきます。

 

医学で病気は治せても、人の内面までは踏み込めない。人のこころをつくりだす「時代」を振り返り、その先の新しい「時代」へと繋げていく。鷗外は若い人たちを育てることにも力を注ぎます。才能がある人材なら、男も女も関係なく、その持てる能力を育てるべく、努力を惜しまないフェミニストでもありました。が、その成果を決して「自分の手柄」にすることはありませんでした。墓には一切の栄誉と称号を排して「森林太郎ノ墓」とだけ刻ませたように、「自分が周りからどう思われるか」ということに無頓着だったようです。

 

夏目漱石と森鷗外。二人の文豪たちの「悩み」の先に、明治の「第一次グローバル化時代」がありましたが、私たちがいる現代の日本には、二人の「悩み」が果実となって存在しているのでしょうか。今、官民挙げて平成の「第二次グローバル化時代」をスタートさせようとしていますが、二人の文豪を超越できるのかどうか。答えは「こころ」の中にあるのでしょうか。それとも「高瀬舟」になってしまうのでしょうか。「阿部一族」ならぬ「安〇一族」頼みなのでしょうか。国民は「舞姫」のようにただ踊らされるのでしょうか。では、また。

 

 

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